マレー語
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マレー語
bahasa Melayu ???? ?????
話される国 マレーシア、シンガポール、ブルネイ、フィリピン、タイなど
地域 東南アジア
話者数 約2500万人
話者数の順位 54
言語系統 オーストロネシア語族
マレーポリネシア語派
マレー語
公的地位
公用語 マレーシア、シンガポール、ブルネイ
統制機関 -
言語コード
ISO 639-1 ms
ISO 639-2 may
ISO 639-3
SIL
マレー語(マレーご、Bahasa Melayu, ジャウィ文字:???? ?????)は東南アジアのマレー半島周辺に分布するマレー人によって話されるオーストロネシア語族の言語である。
いわゆるマレー半島周辺地域で話される言語であるマレー語(bahasa Melayu、ムラユ語とも)。
マレーシアとシンガポールの国語としてのマレーシア語 (bahasa Malaysia) 。
(1)と(2)はほぼ同じものを指す場合が多いが、(1)が地域を基盤とした自然言語であるのに対し、(2)のように呼ぶ場合はより規範的な「国語」であることが強調される傾向にある。また(1)は広くインドネシア語やジャウィ語をも含む場合があり、またあるいはインドネシア語とマレーシア語との共通の基礎となった言語もマレー語と呼ばれる。
日本語の場合で考えるなら、両者は共通語と東京方言の関係と言えばわかりやすいだろうか。
この記事では特に両者を区別せず、またインドネシア語やジャウィ語を含まない狭義のマレー語/マレーシア語を扱うことにする。
目次 [非表示]
1 概要
2 文字
3 発音
3.1 母音
3.2 子音
4 文法
5 辞書
6 その他
7 関連項目
8 外部リンク
[編集] 概要
マレー語はオーストロネシア語族・西オーストロネシア語派に属する言語であり、マレーシア、シンガポールおよびブルネイの国語として話されている。また文法・語彙ともにインドネシア語と共通する部分が多く、言語学的には同一言語の中の方言である。両者の違いは植民地時代の宗主国の違いと、それによる借用語の来歴に多くを拠っている。一説には、両者の一致率は90%前後とされる。 また、同様に言語学的にはマレー語の方言として位置づけられる言語に、タイ南部のマレー系イスラム教徒の用いるヤーウィー語がある。
[編集] 文字
通常、マレー語はローマン・アルファベット26文字で表記される。ただしこれはイギリス植民地時代からの伝統であり、それ以前はアラビア文字を元に作られたジャウィ文字が使われていた。マレーシア国内では今もジャウィ文字の存続を求める声があり、学校教育の場ではその学習が続けられている。この記事ではアルファベット表記を使用する。イスラム伝来以前には、デーヴァナーガリー文字から派生した文字が使われていたという。
[編集] 発音
マレー語の発音は、日本語と同様の子音・母音が多く子音の連続が少ない。
[編集] 母音
マレー語の母音は短母音が6種、加えて二重母音が3種ある。
a
i
e(曖昧母音)
e
u
o
ai
au
oi
[編集] 子音
[編集] 文法
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[編集] 辞書
ここではこの言語の名称の問題には触れず、古くから研究者の間で知られる日本語対訳の辞書を出版の時代を限っていくつか紹介したい。
越智有(著)『馬日辞典』. 大正12(西暦1923)年. (台湾総督府内)南洋協会台湾支部発行.
宮武正道(著)『日馬小辞典』. 昭和13(西暦1938)年. 岡崎屋書店発行.
平岡閏三、ハヂー・ビン・ウォンチ(共著)『馬来―日本語字典』. 昭和15(西暦1940)年. (台湾総督府内)南洋協会台湾支部発行.
藤野可護(著)『模範馬日辞典』. 昭和16(西暦1941)年. (シンガポール)花屋商会.
武富正一(著)『馬来語大辞典』. 昭和17(西暦1942)年. 旺文社発行. 本辞典には机上版と縮刷版の2種類がある。
岡本泰雄(編)『東亜辞典』. 昭和18(皇紀2603. 西暦1943)年. (シンガポール)昭南本願寺日本語塾発行.
統治学盟(編)『標準 馬来語大辞典』. 昭和18(西暦1943)年. 博文館発行.
上原訓藏(著)『日馬新辞典』. 昭和19(西暦1944)年. 晴南社発行.
佐藤栄三郎(著)『インドネシヤ最新馬来語辞典』. 昭和19(西暦1944)年. 弘文社発行.
[編集] その他
南アフリカのオランダ語の変種アフリカーンス語にはマレー語の影響が残っている。
[編集] 関連項目
ヤーウィー語(タイで使われるマレー語の方言。ジャウィ語とも)
インドネシア語(インドネシアの国語であるマレー語の方言。)
ジャウィ文字(マレー語を表すのに伝統的に用いられてきた改良アラビア文字。)
アフリカーンス語(オランダ語の変種だが、奴隷として連れてこられたマレー人の話していたマレー語の影響を受けている。)
マレー人
マレー語版のウィキペディアがあります。
[編集] 外部リンク
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所_2007年度言語研修マレー語
この「マレー語」は、言語学に関連した書きかけの項目です。加筆・訂正等して下さる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
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ジンバブエ
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ジンバブエ共和国
Republic of Zimbabwe
(国旗) (国章)
国の標語 : Unity, Freedom, Work
(英語: 統一、自由、労働) 国歌 : ジンバブエの大地に祝福を 公用語 英語
首都 ハラレ
最大の都市 ハラレ
元首
大統領 ロバート・ムガベ
首相 なし
面積
総計 390,580km2(59位)
水面積率 1.0%
人口
総計(2004年) 12,671,860人(66位)
人口密度 32人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年) 69兆261億ジンバブエ・ドル (Z$)
GDP(MER)
合計(2005年) 122億ドル(94位)
GDP(PPP)
合計(2003年) 240億3,000万ドル(94位)
1人当り 1,900ドル
[編集] 古代
12世紀頃、リンポポ川中流域にマプングヴエ王国が成立し、次いで13世紀?14世紀中には、グレート・ジンバブエと呼ばれている王国が栄えた。グレートジンバブエの遺構からは、中国製陶器が見つかっており、かなり大規模な交易を行っていたようである。15世紀頃、グレートジンバブエは放棄され、代わってザンベジ川中流域にモノモタパ王国、現ブラワヨ周辺のカミ遺跡を首都としてトルワ王国が興り、覇権を握った。
[編集] 植民地状態
16世紀?17世紀にかけて、ポルトガル人の侵入に苦しむが、撃退。地方首長国の分立状態となる。19世紀後半に南アフリカ会社に統治された後、第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなる(ローデシアは「ローズの家」の意。南アフリカ会社設立者にしてケープ植民地首相のセシル・ローズの名からとられている)。
外為・南アフリカランド
[編集] 独立
1960年代から黒人による独立運動が行われていたが、民族自立までの道のりは険しく、1965年には、世界中から非難を浴びる中、植民地政府首相イアン・スミスによって白人中心のローデシア共和国が独立を宣言し、人種差別政策を推し進めた。これに対して黒人側も、スミス政権打倒と黒人国家の樹立を目指してゲリラ戦を展開するが、イギリスの調停により、100議席中、20議席を白人の固定枠とする事で合意、ローデシア紛争は終結した。1980年の総選挙の結果、ジンバブエ共和国が成立し、カナーン・バナナが初代大統領に、そしてロバート・ムガベが初代首相に就任した。1987年からは大統領が儀礼的存在である議院内閣制を廃し大統領制に移行し、首相職も廃止。ムガベが大統領に就任した。2008年8月現在も引き続きムガベが権力を握りつづけている。
[編集] コンゴへの派兵
1999年コンゴのカビラ大統領と親交していたムガベ大統領は内戦が起きたコンゴに約1万人の軍を派兵した。カビラ大統領を支えるためだが、真の目的はコンゴにあるムガベ一族が所有するダイヤモンド鉱山を守る事や、コンゴのそれらのダイアモンドや銅や金などの地下資源の狙いの理由もあった。コンゴに軍隊を送り、これに反対する運動がコンゴの都市部を中心に活発に起き、派兵直後にカビラ大統領は暗殺されるなどコンゴ派兵は混乱を招いた。ムガベ大統領はコンゴ内戦への派兵に専念していったため、ジンバブエの経済や医療、教育などが悪化していった。 そのためムガベ大統領への批判が相次ぎ、ムガベ大統領は批判を避ける目的で白人農場を強制収用する政策にすり替えていった。
先物取引
[編集] 白人大農場の強制収用
ムガベははじめは黒人と白人の融和政策を進め[1] 、国際的にも歓迎されてきたが、2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラック」が開始された[1]。この結果、白人の持っていた農業技術が失われ、食糧危機や第二次世界大戦後世界最悪とも言われるインフレーションが発生した。こうした経済混乱に、長期政権・一党支配に対する不満とあいまって治安の悪化も問題となっている。また、言論の統制などの強権的な政策は外国や人権団体などから批判を受けている。
2005年5月には「ムラムバツビナ作戦」によって地方の貧しい都市地域および周辺都市地域を標的に大規模な強制退去と住居破壊を行い[2]、さらには2007年3月11日、警察によって活動家ギフト・タンダレが暗殺されている[3]。女性差別は依然存在するばかりか激しさを増しており、女性活動家の行動はおろか生活すらも統制され、トウモロコシを穀物流通公社に売ることさえもできなくなっている[4]。
ローデシア共和国初代首相であったイアン・スミスは、政界復帰を狙っていると伝えられていたが、2007年11月20日に南アフリカ共和国・ケープタウンの自宅で心不全により88歳で死去した。
FX
グレートジンバブエ遺跡の「大囲壁」の外観。Randall-MacIver,D.1906より2008年3月29日より大統領選挙が始まり、現職の与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線のムガベ大統領他、与党から造反したシンバ・マコニ元財務相と最大野党の民主変革運動のモーガン・ツァンギライ議長が立候補していたが、ムガベ政権からの弾圧によりツァンギライ議長は出馬の取り止めを余儀なくされた。これにより、ムガベ大統領は欧米からの決選投票延期要請を無視し、投票を強行、勝利したと宣言した。
FX
[編集] 政治
ジンバブエの政党
野党勢力への迫害が強く、野党の政治家、野党支持者への暴行・虐殺・拉致などが常態化している。事実上、ムガベ大統領の独裁政治体制が続いている。 2008年6月の大統領選挙においても国連から公正な選挙がなされておらず、不正選挙にて大統領が選出され非難声明が出されている。国連の介入の議論がされたが、ロシアと中国が拒否権を行使し否決された。
[編集] 国外メディアの報道規制
国内では報道規制が厳しく、CNN・BBCをはじめ国外のマスコミの取材が禁止されている。
[編集] 地方行政区分
詳細はジンバブエの行政区画を参照
ハラレ市
ブラワヨ市
マニカランド州(東部)
マショナランド中央州(北部)
マショナランド東部州(北部)
マショナランド西部州(北部)
マスィンゴ州(南東部)
北マタベレランド州(西部)
南マタベレランド州(西部)
ミッドランズ州